「 願 い 」

岡山大学病院 聴覚支援センター  片岡 祐子

 今夏の日照は例年以上に厳しくて、日中どころか宵が深くなっても暑さを残したまま日々を巡らせている。旧盆を前にして本州に近付いてきた台風は南東から重い風を運んできて、その温度と湿度で殊更に身に熱さと重さを纏わせる。それでも直撃からは逃れられる情報を入手すると、心だけは軽くなる気がするのは5年前の夏の出来事を追想するからに他ならない。
 その日は午後から矢掛に外勤に出る予定だった。3日前からやまぬ雨は更に激しさを増し、屋根のあるバス停にいても、足元どころか全身に降り付けていた。岡山駅に到着すると新倉敷に向かう在来線は欠便と表示されていた。ならばと思い新幹線へと改札口に急いだが、そこにも払い戻しの長蛇の列ができている。病院に休診にさせてほしいと連絡したところ、タクシーで来てくれとの言葉が返ってきた。こんな日に受診する人がいるのだろうか…と疑問を抱きつつも速攻でタクシーに乗り込み矢掛へと向かった。冠水しそうな道路を避け、病院へと飛ばす車内からふと目に飛び込んだ小田川が、見たこともないほどにその水位を上げ、濁流が湧くように激しく荒れ狂っていた。得体の知れない恐怖を身に覚えたことは今も記憶に鮮明に焼き付いている。
予想よりは多くの外来患者の診療を無事終えて、往路以上に時間を掛けて何とか帰宅したものの、夜には雨足は更に強くなった。近所に住む両親は土嚢を積んだと連絡してきたが、オール電化住宅に住むが故、停電に備え家族全員早い時間に入浴と食事を済ませた以外、普段とさして変わらぬ状況で、何となく緊迫感のないまま夜を過ごしていた。
 突然のインターフォンに反応したのは日付が変わる頃だった。「車動かさんともう浸かるよ」近所の人が緊迫した声でそう告げた。テールランプが特徴的な車高が低過ぎる1990年代のスカイラインは、確かに冠水する直前だった。夫がこだわって乗り続けているのを知っているご近所さんが冠水した道路を歩いて親切にも知らせに来てくれたのだ。御礼もそこそこに団地の小高い場所へ移動させると既にそこには多くの車がひしめき合っていたが、何とかスペースを確保し駐車することができた。
 未明に窓を叩く雨音と吹き荒れる風に何度か起こされたが、いつの間にか眠りについていたようで、気付いた時は翌朝になっていた。その日は瀬戸での業務があった。だがいつも抜けている山道は土砂崩れで閉鎖されていた。急いで北の道を選んだが、牟佐一帯は道路境界が分からなくなるほど冠水し、恐怖を感じながらUターンを余儀なくされた。ニュースを見ると平島周辺は更に酷い状況らしく、三方塞がれて流石に業務を断念した。真備、矢掛で多くの家屋が流される未曾有の災害となったことを知ったのはその日の昼前だった。そして、多数の聴覚障害者が洪水情報の入手が遅れたという話を聞いたのはそれから随分経った後であった。
 あれから5年が経過した。道路の復旧、家屋の再建、川原のテニスコートの整備…復興までに数か月、事によっては年単位での時を要したが、それでも私たちの多くは今、何事もなかったかのように暮らしている。ただ、夏が来るといや台風や大雨の予報が出ると、嫌が央にもあの時のことを思い出す。東日本大震災時に宮城県、岩手県、福島県で不幸にも命を落とした人は1%、でも聴覚障害者は2%だった。津波の被害に遭った宮城県女川町では聴覚障害者のそれは22%に及んだと報道されている。情報バリアが存在することは否定できず、その事実を苦しく思う。
 そんな思いから、昨年より日本医療研究開発機構の研究として、災害時・緊急時の聴覚障害者の情報伝達保障手段の開発に着手し、災害時や緊急時のサイレンを振動に変換するデバイスを開発している。器械としての音認識の精度向上の難しさを抱えながら、開発部隊が日々尽力しているところだ。今秋には実証試験も始まる。デバイスの進化、デジタル化、オンラインの普及…様々なテクノロジーの力を借りることで情報バリアを改善できれば。そして、周囲が共助で支援する体制が浸透していったら。そんな願いを抱えつつ、多くの人が安全に安心して暮らせる社会になることを目指して日々を歩んでいる。