公益社団法人 岡山県難聴者協会 会長 森俊己
先日、今から40年程前の難聴協初期青年部メンバー有志が集まって、交流を持ちました。コロナ禍でしばらく途絶えていた会ですが、5類移行後1年を経て、久方の再会となりました。各々事情もあり、集まるのは限られた人数になりますが、会えばあの当時のまま。それぞれの個性が発揮された、賑やかな会となります。最重度難聴の人、比較的聞こえる人、聴力の程度はさまざまですが、ここでは全く関係ありません。最重度の人の方が、かえってより良いコミュニケーションを発揮しています。私のことも尊重はしてくれますが、やっぱりやりこめられてしまいます。そんな雰囲気が、私にとって特別なオアシスだと感じます。
青年だった彼らも還暦を迎え、或いは還暦近くになり、それぞれの人生を歩み、暮らしを積み重ねてきました。「遠くにいるあの人はどうしてる?」「私の孫はこんなよ。」噂話と近況、またかつての時代を振り返っての思い出談議がいつまでも続き、夜が更けていきます。
その夜、話題になったのがⅯ先生のこと。集まったメンバーは皆、多かれ少なかれⅯ先生のお世話になっています。「先生、これでお辞めになるんだ」。幼児期に受けた先生のご指導が、今でもずっと胸の中にあります。言葉にしなくても、慕っていることが伝わってきます。
彼らが指導を受けた昭和の頃は、訓練の教科書もなく、教える方も教わる方も、親も子も、人のいないところで泣きながら、まさに「手探り」の状態だったことが話の節々から感じられます。それでも、最重度難聴で話せるようになるはずがない、そう言われていた子が話せるようになり、社会で独り立ちし、還暦を迎えようとしています。
「私は患者さんだけを見てきた」と、先生は言われます。一貫して当事者目線でいてくださる先生の存在を私もずっと感じてきました。そんな先生がこの世界のリーダーであり続けてくださったら、難聴の世界も今より少しは違った世界であったかもしれない。今は感謝を込めて、ありがとうございますと伝えたい思いで一杯です。