「 映画  字幕に思うこと 」

公益社団法人 岡山県難聴者協会 会長 森  俊己

 難聴活動とは縁遠かった若かりし頃、映画に熱中していました。当時は日本映画に字幕が付くはずもなく、観るのは翻訳字幕が付いた洋画のみ。スクリーンのバーグマンを見て、世の中にこんな美しい人がいるのか!と驚き、サベーリエワの可憐さに惹かれました。

 ある時、「寅さん」の映画を観てみたいと、3番館(懐かしい呼び方かも…)に足を運んでみました。周りの観客が笑っているとき、私は暗闇の中で作り笑いをするしかありませんでした。予想はしていたものの、満足とは程遠い後悔だけを抱えて家路についたあの日を、いまだに忘れることができません。その後、難聴青年活動に加わるようなり、「日本映画に字幕を」という全国的な動きに触発され、仲間と共に、岡山でも字幕付き邦画の上映にこぎつけたことも懐かしい思い出です。

 先日、地元の牛窓を題材にした映画が上映されると聞き胸を躍らせましたが、字幕は付いておらず断念せざるを得ませんでした。未だに残念なことは多いのですが、50年前に比べれば、字幕のついた日本映画の数は飛躍的に増えています。念願の『七人の侍』、『火垂るの墓』など、レンタルショップで手にできます。また、ネット配信の日本映画にも字幕付きが増え、嬉しいことに探す楽しみもあります。

 テレビの地上波にも、クローズドキャプションでほぼ字幕が挿入されていて、私は補聴器を外し、音がない状態で字幕だけを頼りに番組を楽しんでいます。昔と比べて雲泥の差。ニュース番組、国会中継にも生字幕が付くようになりました。タイムラグは生じますが、ニュアンスも含めて、これだけの情報が表出されれば、内容の理解に安心感が得られます。

 しかし、身近な岡山局や広島局制作の番組などに字幕が付かないなど、地域によってまだまだ障壁が残っています。共生社会実現のための情報保障は進みつつありますが、まだまだ当事者が「声」を出す場面は多くあります。社会に異を唱えて何か動いたとしても社会は動かないし変わらない。でもその声がいつか何かを変えるかもしれない。(『寅に翼』より)