公益社団法人 岡山県難聴者協会 会長 森 俊己
森壽子先生がこの度、長年続けてこられた言語聴覚士としてのすべての業務を退任されることとなり、お世話になった難聴当事者団体として、こんにちまでの先生のご苦労に対して感謝の気持ちを表すことができないかと考えた結果、今回、おそらくラストになるであろう先生の講義と、インタビューの会を企画することにしました。
森先生は岡山のというより、全国の言語聴覚士の草分けとして、何もないところから道を切り開いてこられたパイオニアです。私も先生からいろいろなエピソードを聞いてきました。中でも先生は「医療は患者のためにある。どのような言語聴覚士と出会い、どのような訓練を受けて、一人の社会的存在として、言葉の能力をつけて、社会的に生きるかは、その人の人生そのものが左右される重大な事柄です」という言葉通り、「この子が言葉を言えるようになるはずがない」と言われていた最重度の難聴幼児に、テキストも何もないところから手探りで言葉を教えられました。これは彼らにとって、一般社会で人生を切り開く礎(いしずえ)となりました。
その彼らも、私も、共に難聴青年部活動をしていた時期の仲間たちは、もう還暦前後です。今も折に触れて交流を持っていますが、それぞれの家庭でのお孫さんの話や、職場で活躍している話が聞け、嬉しく思っています。
私の補聴器は、補聴器外来で、森先生と補聴器店と私の三者でフィッティングしたものです。当初、私が「この設定はやかましいので、パワーを抑えてほしい」と申しましたら、「これで聞いてみなさい、下げたら聞こえない」と怒られ、そのまま使うことにしました。今まで何台も補聴器を使ってきましたが、結果として、この補聴器が一番よく聞こえています。難聴当事者は自分の聞こえはわかっていますが、臨床を積んだ言語聴覚士はその経験から、ある意味、当事者以上にわかっていて、それぞれの難聴者にとって何がいちばん最適なのか、聞こえの面でも経済的な面からも指導できると実感しています。
森先生が退かれることで、一抹の寂しさと不安がないとは言えません。
「私は患者様、つまり聴覚障害者だけを見てきた。」この企画を段取りしているとき、森先生がそう言われました。森先生のマインドを受け継いだ、聴覚補償学を専門とする言語聴覚士の先生方のご活躍を祈念してやみません。
終わりに、森先生がこんにちまで私どものために波乱とご苦労の道を歩まれたことに深く感謝し、私の挨拶とさせていただきます。森壽子先生、ありがとうございました。