「伝える」ということ

瀬戸内要約筆記クラブ 爲房悦子

 先日のクラブ例会で「伝える」と「伝わる」って違うよねという話になりました。伝達という意味の場合は、信号、メディア、放送など一方的なものを思い浮かべますが、要約筆記は通訳なので、講演会などの全体投影の場合、ある意味、一方的な音声情報となり、それを受け取った側は各々の理解力で判断します。どう判断するかは人それぞれ。それが一般的な状態です。しかし、要約筆記を利用した対面での個人派遣の場合は理解してもらったあと、利用者がどう判断して行動するのか要約筆記者側にもわかります。講演会のような場面での全体投影では一方的に情報をスクリーンなどに表出するため、いつも業務の終了後は理解して頂けたかと自問自答を繰り返しています。フィードバックの重要性がここにあります。

 別の会で難聴者に「相手にわかってもらうためにどのようにして伝えますか」と尋ねたところ、まず気づいてもらうために肩や背中をたたく、目を見る、マスクを外す、口型をはっきりゆっくり話す、表情を豊かに、手話、ジェスチャー、筆談、スマホの文字入力画面を見せる等、たくさん出てきました。これは自分の経験値を活かした工夫と言えると思います。日常会話やどうしても自分に必要な情報を確保することや自分の意思を伝えたい時に相手にわかってもらうまで各々が工夫されていることをその時に言われていました。双方の理解が「伝わる」ということに繋がります。

 人が受け取る情報は、視覚情報55%、聴覚情報38%、言語情報7%と聞いたことがあります。これはメラビアンの法則と言われるものですが、要約筆記者はこの7%の聞こえてくる情報を聞きつかみ、文章に再構築し表出する作業です。大変高度な技術と言わざるを得ません。そのために聞きつかむ力をつけたり、文章力をつけたりと勉強は欠かせません。話を発信する人(話し手)と文字を利用して話を聞く人(聞き手)の間に立っての通訳者とも言われます。話が聞き取れない人が文字で聞くという当然の権利を擁護するのが要約筆記者です。これは時代が変わり情報保障の方法が変化しても当然残していくべき作業だと思います。

近年、AIの進化や、遠隔操作、オンラインと社会の状況も激変しています。最新のアプリもどんどん出現し情報を入手し使いこなしていくこともなかなか難しいです。使いこなせている人ばかりではありません。それは大きな課題です。さまざまな変化のなかで情報から取り残される情報弱者の存在にも気を配りながら日々の活動に取り組んでいきたいと思います。要約筆記者も情報通信機器を使いこなすことへの苦手意識はあるにしても常にアンテナを張って新しいことへの学びが必要不可欠だと思っています。要約筆記者現任研修などにも積極的に参加し要約筆記者同士の意見交換や難聴者の思いを聴講する良い機会にしていきたいと思っています。なにより要約筆記で「伝える」ことは「伝わる」までが大切と改めて感じました。